春の風が、まだ少し冷たさを残していた。
よりみちくんは、いつものようにカメラを首から下げ、さよちゃんと一緒に安曇野の道を歩いていた。
「今日はどこまで行くの?」
さよちゃんが、帽子を押さえながら聞いた。
「決めてない!」
よりみちくんは、にっこり笑った。
「決めてないの?」
「うん。そのほうが面白いじゃん。気になる道があったら行ってみよう!」
さよちゃんは、少しあきれたように笑った。
「もう。よりみちくんらしいんだから」
田んぼの向こうには、まだ雪を残した北アルプス。
用水路の水はきらきらと光り、遠くで鳥の声がしていた。
そのときだった。
よりみちくんが、急に立ち止まった。
「ねえ、さよちゃん」
「なに?」
「この道……気にならない?」
指さした先には、大きな道から外れていく細い一本道があった。
舗装はされているものの、観光案内の看板もなければ、人の姿もない。
「また始まった……」
そう言いながらも、さよちゃんは笑っていた。
二人がその道へ入ろうとすると、後ろから声がした。
「そっち行くなら、もう少し先まで行ったほうがいいよ」
振り返ると、一人の青年が立っていた。
ネイビーのキャスケット。
小さなバックパック。
首にはカメラ。
そして手には、何度も開いた跡のある地図が握られていた。
「何かあるの?」
よりみちくんが尋ねると、青年は少し笑った。
「あるかどうかは、行ってみないと分からないけどね」
その答えに、よりみちくんの目が輝いた。
「それ、いいね!」
さよちゃんは二人を見比べる。
「なんだか、似た人に会っちゃった気がする……」
青年の名前は、安曇わきみち。
安曇野で育ち、昔から大きな道よりも脇道を歩くのが好きだった。
「観光地も好きなんだけどさ」
わきみちくんは歩きながら言った。
「何でもない道の先に、すごくいい景色があったりするんだよ」
「わかる!」
よりみちくんが即答した。
「予定にないところほど面白かったりするんだよね!」
「そうそう」
二人は出会って数分とは思えないほど話が合った。
その少し後ろを歩きながら、さよちゃんは苦笑する。
「もう親友みたい……」
やがて三人は、小さな林の脇を抜けた。
すると突然、視界が開けた。
そこには、小さな水辺と一本の古い桜の木があった。
観光客は誰もいない。
風が吹くたび、花びらが水面へ落ちていく。
「わあ……」
さよちゃんが思わず声を漏らした。
よりみちくんはカメラを構える。
「こんなところがあったんだ」
わきみちくんは、少し得意そうに笑った。
「だから、脇道って好きなんだ」
そのとき。
「わきみちくーん!」
遠くから女性の声がした。
三人が振り返ると、ラベンダー色のカーディガンを着た女の子がこちらへ歩いてきた。
ベージュの帽子には小さな花。
手にはトートバッグ。
「あ、かな」
わきみちくんの表情が少し柔らかくなった。
「待ってたのに、また脇道に入ってたでしょ?」
「ちょっとだけ」
「“ちょっとだけ”で帰ってきたことないじゃない」
そう言いながら、その女の子――かなちんは笑った。
よりみちくんが小声で聞いた。
「彼女?」
わきみちくんは一瞬黙り、
「……まあね」
と答えた。
「へえー!」
「ちょっと、よりみちくん!」
さよちゃんが慌てて止める。
かなちんはそんな二人を見て楽しそうに笑った。
こうして、四人は出会った。
よりみちくん。
さよちゃん。
わきみちくん。
かなちん。
このときはまだ、誰も知らなかった。
この偶然の出会いが、
やがて信州のあちこちを巡る、
長い長い旅の始まりになることを。
そして少し離れた草むらでは――
小さな白い影が、こちらをじっと見ていた。
「……?」
かなちんが振り返る。
けれど、その姿はもう消えていた。
残っていたのは、
小さな足あとだけ。
それがこまちゃんとの出会いにつながるのは、もう少し先のお話。
――第1話・終



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