こんにちは。Kamijiです。今回は松本城公園の紹介をさせていただきます!
松本城の魅力は天守閣や庭園だけでなく、お城を取り囲んでいる松本城公園も日本の歴史公園100選に選ばれた、とても魅力あふれた公園です。
季節により表情を変える松本城公園。春にはは約300本に及ぶ桜が天守閣の周りを飾り、夏には芽吹き新緑の青、秋には色鮮やかな紅葉、そして冬は松本城とアルプス雪山の白と黒のコントラスト。
この魅力的な松本城公園を散歩コースの画像付きで紹介させていただきます!
松本城公園をぶらり散策
日本の歴史公園100選に選ばれた松本城公園を正面をぶらり散策してみます。今回は本丸ではなく公園周りで進んでいきましょう!
まず黒門(本丸へ入る入口)を正面にしてお堀に沿って左回り(反時計回り)で進むと、見えてくるのは『太鼓門枡形と二の丸御殿跡』の案内表示です。
案内表示の通り進んでいきましょう。
まずは復元された太鼓門へ
太鼓門とはお城の東側(松本市役所側に)あり、もとは文禄四 (1595)石川康長によって建てられたものですが、明治四年の「旧物破壊」の流れによって一度破却されました。今の太鼓門は平成11年に復元されたものです。
太鼓門は桝形門で石垣・土塀を四角に囲い内と外に門を二重に構えたものです。
太鼓門の前、右手に大きな石が見えてきます。(案内板には由来が書かれています)
一の門(櫓門)
公園内から見える門は一の門(櫓門 やぐらもん)といいます。
近づくと『注意看板』が見えます。
information 松本城天守耐震診断に引き続き、引き続き黒門・太鼓門の耐震診断を実施しました。
診断の結果、『大地震動時の倒壊危険性及び中地震動時の非倒壊』と判定され、特に太鼓門は震度6強から7の大地震動時の耐震性が不足していることが判明しました。
松本市は直ちに耐震対策に着手しましたが、耐震工事の完了までには数年間期間が必要となる状況です。この状況をご理解の上、通行頂くとともに地震発生時には係員の指示に従い、落ち着いて行動して頂くようにお願いします。
普段は大丈夫ですが、万が一大きな揺れがあるときは注意をしましょう。では櫓門を進みます。上を見ると昔ながらの太い梁が立派です。
門の端には切り株があります。説明文は『この切り株は『平成八年(1996)~十一年(1999)に太鼓門が復元された際、櫓内の梁に使用された樹齢140年の赤松の根元です』とあります。
門をくぐり、進むと『桝形』内部に出ます。
案内板の拡大図
- 一の門(櫓門:やぐらもん)
- 二の門(高麗門:こうらいもん)
- 鵜首(うのくび)
- 枡形(ますがた)
- 玄蕃石(げんばいし)
- 太鼓楼(たいころう)
玄蕃石
門の左側に大きな石が見えますが、この石を『玄蕃石(げんばいし)』といいます。
『玄蕃石』とは松本城最大の石で、重さ約22.5トン(玢岩/ひんがん)あり、松本の東、岡田か山辺の石といいます。松本城を築城した石川玄蕃守康長が運ばせた巨石で、運搬の苦労を物語る伝説が伝えられています。康長の名にちなんで玄蕃石と呼ばれています。
二の門(高麗門)と鵜首
こちらが二の門(高麗門 こうらいもん)とお堀にかけて真っ直ぐに伸びる通路『鵜首(うのくび)』があります。
門の内側からの写真
門の外側からの写真
鵜首
外堀
では再び公園内に戻り、次の『二の丸御殿跡』へ進みます。
歴史の跡『二の丸御殿跡』を広く散策
本丸御殿と二の丸御殿は、文禄3年(1594)頃に竣工した天守に続いて建てられたと考えられていますが、「河辺文書」の寛永10年(1633)の記事に「二之丸江御殿立・・・」とあり
二の丸御殿の建造に松平直政(寛永10(1633)~寛永15(1638)年の間松本城城主)が関わっていたとも考えられています。
では進んでいきましょう。
明治天皇駐蹕遺址碑
二の丸御殿跡に入ってすぐに『明治天皇駐蹕遺址碑(めいじてんのうちゅうひついしひ)』があります。
『明治13年(1880) 6月に明治天皇が松本地方に御巡幸され、当時この二の丸御殿跡地に新築されていた松本区裁判所に立ち寄せれたことを記念し、大正10年(1921) 6月に松本市民より建てられた』と表記があります。
二の丸御殿絵図
敷地は約1,900坪(6,270平方メートル)、建坪は約600坪(1,980平方メートル)、部屋数は約50ありました。本丸御殿があったときは、二の丸御殿は副政庁として機能していました。
正式の入り口は南側正面の式台と玄関で、東側のほぼ中間に内玄関がありました。式台から上がった左手に広間があり、その奥に書院とそれに付属する部屋がありました。
二の丸御殿では藩主の居所になっていて政治向きの場は藩主の居所の奥に設けられています。政治向きの場には、年寄・用人・元鎮といった重臣がつめる部屋とその書記役等の部屋がありました。
台所は北東側に広がっていて、台所の水は掘り井戸と地蔵清水の井戸から樋により引いてきた水を溜めておく井戸がありました。
明治になり御殿は筑摩県庁として使われていましたが、同9年(1876)6月19日午前3時半頃出火して全焼しました。昭和54年から発掘調査をし、御殿跡を平面復元して見学できるようにしてあります。(松本城HPより抜粋)
跡地にはそれぞれの表示が記されています。
二の丸御殿 跡地から見える松本城もきれいですね。
松本城VRスポット
一段高い位置から二の丸御殿跡、松本城を眺めることができます。
松本城案内図
数か所設置されている松本城案内図で現在の場所、建物、写真スポットを把握することができます。
松本城北口から一度、外に出てお堀の外周を西側に少し進んでいきます。
こちらが北側から見た松本城です。
右手に見えるのが『松本神社』です。松本城と関わりの深い神社の一つです。
北側口から松本城公園へ
北側口からもう一度『松本城公園』へ入ります。右手に見える建物が発券所です。
松本城400年まつり開催記念碑
『平成5年(1993)、松本城天守築から400年の節目を記念して
「国宝松本城400年まつり」が開催されました。
この碑はいつまでも変わることのない松本城の姿を願うと
ともに、まつりのまつりの開催を記念して建立するものです』
と記されています。
埋の橋
松本城公園から庭園内へ結ぶ、朱色の橋を『埋橋』、『埋の橋』(うずみのはし)といいます。黒の天守閣に朱色の橋が印象的で写真スポットになっていますが、現在は通ることができません。
この橋は、昭和25年から30年にかけて行なわれた昭和の大修理完成の際、昔の絵図にあった位置に架橋したもので、1955年(昭和30)9月末に完工したとのこと。埋門の名に因んで、埋の橋と命名されています。
「埋の橋」は2011年6月の県中部地震(松本地震)以降通行止めとなっています。老朽化した「埋の橋」に対して、全面的な改修工事に必要な基礎部分の調査を、堀の遺構を傷つけずに行うことが困難なためだからです。
公園内の桜
松本城公園内には、ソメイヨシノをはじめ約300本の桜の木が植えられています。春の花見の時期には、それは見事な桜の花を楽しむことができます。
こちらが松本城を囲むお堀と鯉です。
公園内は歩きやすい舗装された道と神社のように土(玉砂利)が散歩する心地よさを感じさせてくれます。鳩も時折り舞い降りてきます。
これで一周し、正面の黒門に戻ってきました^ ^ 楽しんで頂けたでしょうか。アクセスは松本城の案内と同じになります。
【松本城レーザーマッピング(松本城~氷晶きらめく水鏡~)】
冬季限定で開催されている松本城レーザーマッピングをご紹介します。今シーズンは「大地」「水」「星空」をモチーフとした演出。幻想的な冬の松本城がお楽しみいただけます。(この動画は2022年1月のものです。)
〇期間 令和4年12月1日(木)から令和5年2月28日(火)
〇点灯時間 午後6時から午後9時
※15分で3つの演出をお楽しみいただけます。
〇場所 松本城天守・松本城南西石垣・南西内堀植栽
〇内容 演出は全10種類(各3分間)
※時期によって公開している演出が異なります。
詳しくは公式サイト(こちら)をご覧ください。
アクセス
長野自動車道 松本ICから国道158号を松本市街地方面へ向かい約3.5km(約20分)
<松本ICまで>
- 東京から:中央自動車道経由で約220km、約2時間40分
- 名古屋から:中央自動車道経由で約210km、約2時間30分
- 大阪から:名神高速道路・中央自動車道経由で約380km、約4時間40
国宝 松本城
年末を除き無休
開場 8:30~17:00(最終入場 16:30)*時期により変動あり
松本城管理事務所
390-0873 松本市丸の内4番1号
TEL 0263-32-2902 FAX 0263-32-2904
まとめ
松本の歴史を感じる『松本城公園』の紹介をさせて頂きました。松本城は天守閣・庭園だけでなく、無料で散策できる松本城公園も知って欲しいと思ったからです。
代表的なものに『太鼓門』、『二の丸御殿跡』、『埋の橋』そして春の桜は絶好の記念・撮影ポイントになることでしょう。
公園の四季を感じながら日本の歴史公園100選にも選ばれた、とても魅力あふれた公園を、ぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。今回もkamijiのブログをお読みくださりありがとうございました。
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