人の言葉に振り回されて、疲れてしまうことはありませんか。
本当は気にしなくていい一言なのに、
なぜか頭から離れず、ずっと考えてしまう。
「なんであんなこと言われたんだろう」
「自分が悪かったのかな」
そんなふうに、心が消耗していく。
でもある日、私は気づきました。
“人の言葉すべてに意味があるわけではない”ということに。
これは、周囲のノイズに振り回されなくなった日の話です。
人は無意識に“ノイズ”を発している
人は、思っている以上に無責任な言葉を口にします。深く考えずに言った一言。
その場の感情で出た言葉。でも受け取る側は、それを真剣に受け止めてしまう。ここにズレが生まれます。
続けた者だけが、崩れなくなる
ブログを書き始めて
一週間ほど経った。
毎日ではないが
少しずつ文章を書いた。
思考ノートに書いたこと。
公園で考えたこと。
仕事帰りに感じたこと。
そんな
ささやかな文章だった。
読者は
ほとんどいない。
画面には
「閲覧数 1」と表示されていた。
その一人は
たぶん自分だ。
私は少し笑った。
それでも
書くことは嫌いではなかった。
思考を書く習慣も
続いていた。
朝の十五分。
それは
一日の始まりとして
悪くない時間だった。
だが
ある日。
会社の休憩室で
同僚にその話をしてしまった。
「最近ブログを書いてるんですよ」
何気なく言っただけだった。
同僚は少し驚いた顔をした。
「ブログ?」
「ええ、まあ」
同僚は笑った。
「そんなので稼げるの?」
私は少し困った。
「いや、まだ全然ですけど」
「今さら遅くない?」
その言葉は
軽い調子だった。
だが
心のどこかに残った。
その日の帰り道。
私は
少し気持ちが重かった。
やはり
無理なのだろうか。
五十八歳から
新しいことを始めるなんて。
公園に着くと
老人はベンチに座っていた。
私は隣に座った。
しばらく
何も言わなかった。
老人が、静かに言った。
「ノイズだな」
私は驚いた。
「分かるんですか」
老人は
小さくうなずいた。
「芽が出ると
必ず出る」
私は苦笑した。
「やっぱり
無理なんでしょうか」
老人は
少し考えてから言った。
「人は
自分の世界で話す」
私は黙って聞いた。
老人は続けた。
「やらない人は
やらない理由を話す」
なぜ気にしてしまうのか
人は、自分を守るために「他人の評価」を気にするようにできています。嫌われたくない。
間違えたくない。その気持ちが強いほど、
他人の言葉は重くなります。でも、それは悪いことではありません。ただ少し、“受け取りすぎている”だけです。
私は
その言葉をゆっくり考えた。
たしかに
同僚は悪気があったわけではない。
ただ
自分の常識で話しただけだ。
老人は
ベンチの前を指さした。
そこには
昨日見た小さな芽があった。
まだ
そこにあった。
「芽は
静かに育つ」
「大きな音を
気にするな」
私は
その小さな芽を見つめた。
風が吹いても
倒れてはいない。
老人は
立ち上がった。
帰るようだった。
歩き出す前に
老人は言った。
「水をやれ」
それだけだった。
私は
しばらくベンチに座ったまま
考えていた。
ノイズ。
たしかに
これからも出てくるだろう。
だが
芽は
静かに育つ。
私は
ポケットからノートを取り出した。
その日のページに
こう書いた。
人の声より
自分の習慣を信じる。
ノイズをノイズとして扱う
すべての言葉を真に受ける必要はありません。大切なのは、
「これは本当に受け取るべき言葉か?」と一度立ち止まることです。必要な言葉だけを拾う。それ以外は、流していい。それだけで、心はずいぶん軽くなります。
夕方の空は
ゆっくり暗くなっていった。
私は
静かにベンチを立った。
まだ
芽は小さい。
だが
確かにそこにあった。
老人のひとこと
「すべてを拾おうとするから、疲れるんじゃよ」
あの老人は、静かにそう言いました。「必要なものだけ拾えばいい」
その言葉で、少し肩の力が抜けた気がしました。
まとめ
人の言葉に振り回されるのは、
あなたが真面目に受け止めている証拠です。でも、すべてを受け止める必要はありません。必要なものだけを拾う。それだけで人生は少しだけ楽になります。



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