思考を拾う老人 第1話|止まった時計

気づきの書箱
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止まっていたのは、時間ではなかった

その日から、
私は毎日その公園に立ち寄るようになった。

理由は特にない。

仕事帰りに少し座るだけだ。

街の外れにある小さな公園は、
夕方になると静かになる。

昼間の子どもたちの声が消え、
風の音だけが残る。

公園の真ん中には
大きな木が一本ある。

その下に
古いベンチが置かれている。

塗装はところどころ剥げているが、
座り心地は悪くない。

私はそのベンチに座り、
ぼんやり空を見ていた。

特に何をするわけでもない。

ただ
考え事をしていた。

将来のこと。

仕事のこと。

お金のこと。

家族のこと。

考えているようで
答えは出ない。

そんな時間だった。

ふと隣を見ると
あの老人が座っていた。

いつの間に来たのか分からない。

気配がなかった。

老人は
細身の体をまっすぐに伸ばし
静かに座っていた。

七十代後半だろうか。

年齢のわりに
姿勢がきれいだった。

少し空を見上げて
穏やかな顔をしている。

しばらく
二人とも何も話さなかった。

やがて老人が言った。

「その顔は、焦っているな」

私は思わず笑った。

「分かりますか」

老人はうなずいた。

「三週間、ここに座っている」

私は驚いた。

「見ていたんですか」

老人は少しだけ笑った。

「人は焦ると、同じ場所に来る」

私は何も言えなかった。

たしかに
この三週間、私は毎日ここに来ていた。

理由は分からない。

ただ
ここに来ると少し落ち着いた。

老人はポケットから
小さなものを取り出した。

懐中時計だった。

古い時計だ。

銀色の蓋がついている。

老人はそれを開いて
私に見せた。

時計の針は
止まっていた。

「壊れているんですか?」

私が聞くと
老人は首を横に振った。

「止まっているのは
これじゃない」

そして
静かに私を見た。

「止まっているのは
君のほうだ」

私は苦笑した。

「耳が痛いですね」

老人は時計を閉じると
ポケットに戻した。

それから
少し間を置いて言った。

「思考を拾っているのだろう」

「思考?」

「頭の中で
同じことを何度も考えている」

私はうなずいた。

その通りだった。

将来のこと。

お金のこと。

このままでいいのか。

答えの出ない問いを
何度も繰り返していた。

老人は
ベンチの足元を見ながら言った。

「人は焦ると
思考を落とす」

私は意味が分からなかった。

老人は
ゆっくり続けた。

「だから
拾って整える」

私はその言葉を
しばらく考えていた。

思考を拾う。

そんな考え方は
したことがなかった。

老人は
静かに立ち上がった。

「もう帰るんですか」

私は思わず聞いた。

老人は軽くうなずいた。

そして
歩き出す前に言った。

「また会うだろう」

それだけだった。

老人は
ゆっくり歩いていった。

私は
しばらくベンチに座ったまま
空を見ていた。

夕方の風が
大きな木の葉を揺らしている。

私はまだ知らなかった。

あの老人が
私の人生の思考を
拾い始めていたことを。

次の話▶
思考を拾う老人 第2話|成功の種

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