―― 決められないのは、意志が弱いからじゃなかった
「どうして私は、こんな簡単なことも決められないのだろう」
かつての私は、そうやって何度も自分を責めていました。
周りの人は迷わず決めているように見えて、
自分だけが立ち止まっているような感覚。
そして最後は、
「私って、意志が弱いんだな」
そんな結論にしてしまう。
でも今は、はっきり分かります。
決められなかったのは、意志が弱かったからではありませんでした。
決められない裏側にあったもの
決断できないとき、
私の頭の中にはいつも同じ問いがありました。
-
間違えたらどうしよう
-
嫌われたらどうしよう
-
後悔したらどうしよう
つまり私は、
「選択」ではなく
その先にある“結果”を先回りして怖がっていたのです。
決められない自分は、怠けていたわけでも、無責任だったわけでもない。
ただ、傷つかないように必死だっただけでした。
依存は、弱さではなく防衛だった
ここで、以前紹介した
思いやりの心理
の考え方が、もう一度腑に落ちました。
依存心の強さは、性格の欠陥ではない。
それは、心が身を守るために身につけた防衛反応だという視点です。
誰かに決めてもらえば、
責められずに済む。
失敗しても、自分を守れる。
決められなかった私は、
弱かったのではなく、
一生懸命だったのだと思います。
自分を責めるのをやめたとき、景色が変わった
「また決められなかった」
そう思ったとき、以前はすぐに自分を責めていました。
でもある時から、こう言い換えるようにしました。
今はまだ、怖いだけだ。
すると、不思議なことが起きました。
責める声が静まると、
心に少し余白が生まれたのです。
その余白があって、初めて
「じゃあ、今日はここまででいいか」
「これは小さな選択からでいいか」
そう考えられるようになりました。
決められない自分も、ちゃんと前に進んでいる
決断できない時間は、
止まっている時間ではありません。
-
自分の怖さを知っている
-
失敗を想像できている
-
慎重さを持っている
それはすべて、
生きるために必要な力です。
決められない自分を否定しない。
まずは、そこからでした。
次の一歩は「決める」ではなく「認める」
いきなり自分で決められる人はいません。
私もそうでした。
だから最初にやることは、
無理に決断することではなく、
決められない自分を、そのまま認めること
その上で、
「今日はこれだけ自分で選んでみよう」
そうやって、少しずつ決定権を取り戻していけばいい。
おわりに
決められない自分は、
欠陥品ではありません。
ただ、怖かっただけ。
ただ、守りたかっただけ。
そう理解できたとき、
私はようやく、自分と同じ側に立てた気がしました。
※次回は
「小さな決断が人生を動かし始める」
―― 自分で決める練習について書く予定です。


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